2024年


ーーー12/3−−−  H君の思い出


 
以前、小学校の先生がこんな事を言っていた。学級で話し合いをする時、全体が一つの方向にまとまって行く過程で、安易な結論や、綺麗ごとに終わってしまうような危惧を覚えるケースに出くわすことがある。そんな時、生徒の中から、流れを見直すような意見が出ればと願う。教師がそれを言うのは簡単だが、それでは生徒たちのためにならない。生徒たちの自発的な気付きが大切なのだと。

 先日、その話を思い出し、中学校の時のクラスメートH君が頭に浮かんだ。小太りで色黒の、見たところ地味な少年で、特に勉強が出来たわけではない。マイペースで、一風変わった所があったが、周囲とは親しく交わっていて、むしろ人気者の面もあり、一目置かれる存在であった。

 そのH少年が、ホームルーム(学級の話し合い)の時に、突然全体の流れに水を差すような発言をすることがあった。皆が年齢相応のレベルで、当たり障りなくまとまろうとしている際に、急に大人びた視点のような物言いをするのである。それがまた、気取ったり恰好を付けたりというふうではなく、本心からそう思っているという真剣さで言うのであった。彼の発言で、議論が振り出しに戻ったり、決まりつつある結論がひっくり返ると言うようなことが、しばしばあった。他の生徒の気持ちを変えさせる説得力があったのである。そんな時私は、「凄いやつがいるな」と思ったものだった。

 ところで、話は変わるが、そのH君が、運動会のクラス対抗リレーの選手に選ばれた事があった。リレーと言えば、花形種目である。しかしH君は走るのが速くなかった。そんな彼を推薦し、結局選手に祭り上げた一部の連中がいたのだが、彼らがH君を推した理由は、「顔がヘイズに似てるから」。ヘイズとは、1964年の東京オリンピックの100メートル走で優勝した黒人選手である。なんとも残酷ないたずらをしたものだが、当のH君は、「僕で良いなら出るけれど、どうなっても知らないよ」と言って、引き受けた。

 運動会当日、注目された彼の走りは、凄かった。両手両足をバタバタと動かし、肉の塊が弾けるような走りは、ほんとうにヘイズを連想させた。しかし激しいフォームとはうらはらに、スピードは遅く、順位を下げただけにとどまった。

 クラスメートたちは、当然の結果を笑って見ていた。しかし私には、H君が真のヒーローのように見えたのであった。




ーーー12/10−−−  ポイントに疎い私


 
現代は、ポイント社会である。物品を購入する際に、ポイントを気にするのが当然であり、そうでない人は時代遅れの消費者と見なされる。かく申す私も、ポイントなどという制度に関心が無く、長い年月に渡って、家人から冷たい目で見られて来た。そして先日も、間抜けをやらかした。

 行きつけのガソリンスタンドで、車にガソリンを入れるのだが、いつも、「レギュラー満タン、現金カードで」とお願いする。その現金カードに関して、手にした当初から、すなわち20年ほど前から、全く無関心であった。ポイントカードという認識も無い。それを提示すれば多少割引になるくらいと思っていたが、確認したことも無い。

 先日ガソリンを入れる話になった時、あらためて「現金カードって意味があるのか?」とカミさんに聞いた。「ポイントが溜まるはずよ」と、何とも気の抜けた返事が返ってきた。普段ポイントにうるさい彼女が、本件に関しては反応が鈍いのは、自らはこのカードを使っていないからである。驚くべき話だが、カミさんは車の運転を始めて以来この9月まで、ガソリンスタンドを利用した事が無かった。ガソリンを入れるのは、もっぱら私の役目だったのである。この9月には、私が骨折で運転をしなかったので、人生初の給油を体験したという有様。その時はクレジットカードで支払ったそうである。

 カミさんと協議をした結果、今回スタンドで給油をする時に、ポイントがどれくらい溜まっているかを聞き、それが支払いに使えるなら、全部使い切ってしまう。そしてその後は、クレジットカードで支払うのが良かろうということになった。

 スタンドに行って、ポイントがどれくらい溜まっているか、店員に聞いた。すぐ調べてくれて、1900ポイント溜まっているとの返事だった。別に根拠は無いが、想定をはるかに上回る額だった。それを全額支払いに使った。何だかとても得をした気になった。レシートを見たら、支払いのうち1900円分がポイントでまかなわれ、残りが現金で払われたことが記載されていた。そして、利用可能なポイント残高はゼロとなっていた。そこで気が付いた。店員に聞かなくても、以前利用した時のレシートを見れば、ポイントの残高は判るのである。なあんだというか、おそまつと言うか、間抜けな結末。

 それにしても、1900円も得をしたのは、予想外の事で嬉しかった。それを自宅に戻ってカミさんに話したら、何年も溜まっているのだから当然だと言われた。むしろポイントの世間的概念から見れば、少ないくらいだと。そして、ポイントは少しずつでも溜まれば馬鹿にならないし、期限を過ぎたら消滅したりするから、よく注意をしなきゃダメよと釘を刺された。




ーーー12/17−−−  タイヤ交換にトルクレンチ  


 今月の初めに、タイヤ交換をした。2台の車を、冬タイヤに履き替えるのである。タイヤ交換は自分でやる。それが当たり前と思っていたら、そうでもないらしい。雪の便りが近づくと、自動車屋やガソリンスタンドに、タイヤ交換の予約が殺到するという話を聞いた。まあ、こんな作業は面倒だと思う人もいるだろうし、老人や女性にとっては、自分でやるのは大変だろう。ただ、交換する工賃は馬鹿にならないから、私は自分でやることに決めている。

 タイヤ交換の作業をブログに載せたら、常連の読者からコメントが入った。その人も昔から自分で交換していたのだが、最近高速道を走行中にタイヤに異常が生じ、停めて調べたらボルトが緩んでいた。その件があってから、トルクレンチを購入した。ボルトは締め過ぎると破断する恐れもあるので、これからはトルクレンチを使って適正な力で締め付けることにしたと。

 そのコメントを読んで、急に不安になった。ボルトの締め付けが不十分で、タイヤが緩むというのは、考えられる事である。しかし、実際に起きた例を当事者から聞いた事は無かった。なんだか自分の身にも起きそうな気がした。また、締めすぎてボルトを破断してしまうという事も、ありそうな気がしてきた。ネットでトルクレンチを調べてみた。いくつか種類があって、用途によって使い分けるようだった。価格にも幅があったが、安い物でもそこそこの値段はしていた。

 その数日後、いつもお世話になっている町内の自動車修理屋さんのオーナーと会う機会があった。タイヤ交換にトルクレンチを使うべきか、訊ねてみた。「そりゃあ、使った方が良いですよ」という返事が返って来ると思いきや、「必要ないでしょう」との、あっさりとした返事だった。その修理工場では、インパクトレンチにトルク制御が付いた道具を使っているが、それはレンチのパワーが大きくて、制御機構が付いてないと、それこそボルトを破断してしまうから。一般人がタイヤ交換をするのに、トルクレンチまでは必要ないとの説だった。そして「十字レンチで止まるまで締めればそれで良いのです。大竹さんだって、これまで何十年もやってきて、問題無かったでしょう」と言った。

 でも、締め過ぎてボルトを破損する怖れはないかと問うたら、レンチの柄にパイプを突っ込み、その先に乗って全体重をかけたりすると、破断することもあろうが、そんなことはしないでしょ、と言われた。それを聞いて思い出したのだが、軽トラを中古で入手した当時、タイヤを固定しているボルトのナットがきつくて、外すのに困った。それこそ、ボックスレンチの柄に1メートルほどの長さの鉄パイプを挿し込み、その端に力をかけないと回らなかった。それを話すと、「そういうのが危ない」と言った。「ダイハツの軽トラは、車輪のナットがきついのですか?」と聞いたら「そんな事はない」と答えた。理由は判らないが、たまたまそういう状態だったのだろう。今ではそんなことは無くなり、十字レンチで普通に回せるから問題無い。

 ネットで調べると、タイヤ交換にトルクレンチは必須だと述べている記事が多い。少なくとも、トルクレンチを使う必要は無い、という記事は見たことが無い。それに対して、この自動車修理屋の見解は、異質である。しかし、こういう見解の方が、実質的で的を得ているのかも知れない。相手は私がどういう人間か知っている。不特定多数の人を相手に情報を発信するネットとは違うのである。そして、顧客に余計な支出をさせない配慮も有るのかも知れない。田舎生活の、現実路線なのである。

 ところで、知り合いの男性からも、私のブログ記事にコメントがあった。タイヤ交換にトルクレンチを使っているのだが、使い終わったらトルクの目盛をゼロに戻さなければならない。そうしないと、中のバネがヘタって誤動作につながる。最近まで、それを知らずに使って来たとのこと。

 なまじ道具に頼るよりも、体の感覚で作業をした方が良いのかも知れない。 




ーーー12/24−−−ICレコーダーその後  


 
古希のプレゼントに、子供たちからICレコーダーを貰ったことは、2023年4月の記事に書いた。そのICレコーダー、思いがけない用途で、便利である事が分かった。

 結論から言ってしまえば、アナログで録音された音楽を、デジタルに変換して録り直せるのである。そうすれば、パソコンを介してCDにコピーすることができる。

 所有しているお気に入りのレコードがある。それを、利便性の良いCDにコピーしたいと思っても、以前は簡単にはできなかった。専門の業者に頼むという手はあったらしいが、当然費用がかかる。一枚や二枚ならともかく、お気に入りのレコードを片っ端からとなると、お安い話では無い。

 スマホが出現してからは、スマホのマイクで録音し、そのデータをパソコンに移して、CDに焼くという手段が可能になったが、音質の面を考えると、とても実行する気にはなれなかった。

 それが、ICレコーダーを使えば、簡単にできる。そう言うと、現在ではそれ以外にも可能な手段はいくらでもあると指摘されるかも知れない。そういう事は、私にはよく分からない。それでも、既に所有しているICレコーダーを使えば、新たな費用は生じないから助かる。

 それを、思い付いて最初に実行したのが、何十年も前にラジオ番組から録音した音楽のCD化であった。その演奏はラジオからテープに録音した物だった。繰り返し聴くうちにテープの再生装置が調子悪くなってきたので、壊れる前にMDにコピーした。その当時は、テープとCDとMDの三つが使えるラジカセがあり、我が家にも一台備わっていた。

 MDは便利なメディアであったが、現在ではすたれてしまって、再生できる機会はほとんど無い。我が家でも、そのラジカセ以外では、MDを聴く事ができない。ラジカセもそのうちに壊れるだろう思うと、CDに録って残しておきたいと思った。しかし、ラジカセには、MDからCDにコピーする機能は無い。

 そこで、ICレコーダーの登場である。何気なく取扱説明書に目を通していたら、オーディオ機器から直接録音できると書いてあった。やってみたら、確かに録音出来た。その録音データをパソコンに移し、CDに焼いた。かくして、数十年前に録音したラジオの音源が、CDで聴けるようになった。それが嬉しくて、しばらくは車を運転中に、その演奏ばかり聴いていたくらいである。ちなみにその演奏とは、50年近く前のある日に録音した「渡辺貞夫マイディアライフ」であった。

 この出来事により、ICレコーダーを媒介にして、アナログ音源をCDに入れることが、私的に脚光を浴びるようになった。そして今度は、レコードの取り込みである。

 40年以上前に購入したレコードプレーヤーがいまだに健在であり、新たに手に入れたアンプでレコードを聴いていることは、2021年11月の記事に書いた。そのアンプにICレコーダーを繋いで、録音をする。細かい点では、ちょっと面倒な事はあるが、多少の手間を厭わなければ、問題なく出来る。その録音データをパソコンに取り込んでCDに焼けば、目的達成である。

 レコードを聴くなら、デジタルに変換などしないで、生の音を聞いた方が味わいがある。それは分かっているが、長年に渡ってCDで音楽を聴くことに慣れてしまった身には、レコードの扱いは正直言って面倒である。一回セットして聞ける演奏時間が30分程度と短く、アルバム一枚を聴くのに途中で裏返さなければならない。そして決定的なのが、レコードはプレーヤーのある場所でしか聞けないということ。別の部屋で聴いたり、車の中で聴こうと思ったら、CDなどのデジタル・メディアが必要である。

 ICレコーダーは、自分が音楽の練習をする際に、演奏を録音する目的で導入したが、このような使い方が出来ることを知り、その価値を再発見した。

 余談になるが、音楽の練習で、別の効用もある。模範となる演奏を録音して、それを真似て練習をするというのは、よくやる事だが、早いパッセージはなかなか聞き取れない。そういう場合に便利なのが、スロー再生である。最大で四分の一くらいまで遅くできるので、確実にフォローできる。しかも、スピードを変えても音程は維持されるから、とても具合が良い。




ーーー12/31−−−  今年の出来事二つ


 今日は大晦日。週刊マルタケ雑記の歴史をひもとくと、発行日が大晦日と重なったのは2013年、2019年に次いで3回目である。

 大晦日に、一年の締めくくりの記事を掲載するというのも、おつなものである。とは言いながら、年寄り夫婦の二人暮らしは、平々凡々たるもので、曜日の感覚がなくなってしまうほど単調である。年末に書き記すべきネタを思い出そうとしても、弱体化した記憶力ではままならない。せっかく思い出しても、昨年の事だと判明して、苦笑いをしたり。

 そんな中で、これだけはという出来事が二つあった。

 一つ目は、6月に長男に初めての子が生まれた事。これまで授かった孫は、長女に二人、次女に一人だったが、いずれも女の子だった。それが今回は、男の子であった。長男は私に、「男の子が生まれて良かったね」と言った。私が「なぜ?」と聞き返したら、「だって跡取りが出来たじゃない」だと。そういう事を気にかけてもいなかった爺でした。

 もう一つは、8月20日に燕岳から下山中に転倒して足を骨折した事。骨折をしたのは、人生で初めてである。手術をして金属プレートで固定をしたのだが、全身麻酔の手術を受けたのも初めて。松葉杖の歩行も初めて。人生で初めてのことが盛り沢山な出来事であった。事件後、この地の知り合いの人から、「登山はもう凝りごりですか?」と聞かれたことがあった。私は、「別に懲りてはいませんが、これからは安全のために、ダブルストックを使おうと思います」と答えた。しかし、再び登山ができるかどうかは、現時点では確信が持てない。

 骨折のために、秋のマツタケ採りや、リンゴ農園の仕事ができなくなった。じっと家の中に居て、座っていても出来る仕事に時間を費やした。外出する事も無く、普段にも増して、ひきこもりのような生活になった。これが、自分を見つめ直す良い機会になったかと言えば、残念ながらそんなことも無かったようである。

 ともあれ、今年もマルタケ雑記にお付き合い頂き、有難うございました。来年もよろしく、お願い致します。

 どうぞ良いお年をお迎え下さい。